「自分を賢い」と思い込むこと。
はじめに
先日投稿した「言ってなかったこと。言えなかったこと。」が私の想像を遥かに上回る反響で、ツイッターやLINE、インスタグラム、DMで
「泣けてきた」
「尊敬する」
「文章が素晴らしい」
などのたくさんの嬉しい言葉を頂けて、本当に涙が出てしまった。
特に「是非読んでもらいたい」「考え方が変わった」というのが最高に嬉しかった。
「時間かけて書き上げて投稿して良かった」と私に思わせてくれて活力と自信にも繋がった。
改めてまして、
私の考えや経験のあんなに長い文をたくさんの方が読んでくれたという事実。それだけも私は本当に嬉しかったです。また記事に対しての感想やこれからの意気込みなど発信してくれた皆様、本当にありがとうございます。
今回はそんな前回の記事の中で少しだけ話に出した「自分を賢い」と思い込むことについて書いていきたいと思う。
前回同様自分語り全開でこのブログを書いた方が、私の伝えたいことがうまく伝えられると考えられるので、不愉快に感じたらそっとブラウザを閉じて頂きたい。
私は賢い。
そもそも「賢い」ってなに?
かしこ‐い
【賢い】
《形》頭がよい。才知がすぐれている。利口だ。 「おお、―子だ」
By Google
「なぜ今は喋ってはいけない状況と私は理解できるのに、彼らはそれが理解できないんだ?」
「どうして注意されてもすぐ繰り返すんだ?」
「授業中に手を挙げるだけで評価が上がるのにどうして誰も手を挙げないんだ?」
そんなことばかり思っていた時期が中学生の頃にあった。
なぜこんなことを思うのか。
考えられる原因は主に二つだ。
一つ目は、私の兄の影響だ。
私には五つ年上の兄がいる。兄は全国制覇を本気で目指す強豪校の野球部に所属していた。実際に私の兄が在学中に三回も甲子園に出場した実力のある野球部だ。全国制覇を目指すだけあって練習量や意識、人間性、忍耐力。
求められているものが異次元であった。
私は母親と一緒にその学校まで足を運び練習風景を何回か見に行ったことがある。その学校は兄が在学中に何回もテレビで特集されたり、インタビューに堂々と応えている兄の姿をテレビで見たりもした。それを見ていた私は当時中学二年生。その時は「兄がテレビに出てる!すごい!」くらいにしか思っていなかったけど、今思うとそれは高校生とは思えないくらい堂々とした姿だった。
私の兄も只者じゃない。自慢の兄なのだ。
兄の野球部の二年半はこんな生活だった。
朝5時頃家を出て朝7時から練習、朝ご飯、授業。昼ご飯、練習、夜ご飯、練習、9時頃帰宅。大雑把にずっとこんな毎日だ。もちろん食事もとんでもない量食べさせられて、プロテインやサプリメントも家に大量にあった。
母親は毎日4時起き。でも絶対に一言も文句を言わない。
ちなみに父親は毎日6時には家を出ていた。
それを私は二年半毎日横から見続けていた。
無意識に気を遣う環境が出来上がっていたのだろう。
当時兄の部屋に貼ってあった、ちぎったノートに兄の字で書かれた大量の精神論。
「こいつは野球部で心理学でも勉強しているのか?」と思うくらい。
しかし野球はメンタルと集中力が勝敗に関わる大きな要素だ。
例をあげるとすれば、自分がピッチャーで満塁2アウト。3ボール2ストライク。考えただけで寒気がする。
そしてそんなメンタル教育が施されている私の兄とその仲間達。とてつもない積極性と、同じミスを繰り返さないための努力を私は見た。
そして毎日4時に起きている母親にストレスを与えたくないと思った。(思ってただけで実際は…)
これが、私が他の人より早く精神年齢が高くなった原因とも考えられる。
二つ目に考えられる原因は「真面目過ぎ」だ。
真面目だから上の人間の言う事には従う。
私もふざけまくるのは大好きだ。だが「先生が笑わないふざけは非合法」というような暗黙のルールが自分の中にあった。
例えば、授業中に友達とお喋りをする。結構周りに聞こえるような音量。普通に考えて授業の邪魔だ。間違いない。でもそれを注意しようとした先生が笑ってしまったら?
これは完全に我々の勝ちだ。だって先生が笑ってしまった後の注意なんてこっちの心になんのダメージもない。
しかし笑わなかったら「すべった感」と先生に注意されたとき特有の萎えが生じる。
ちょっと話が逸れてしまった。真面目過ぎる私にも悪ふざけのエンジョイ精神があったことを知って欲しかった。
話を戻そう。
「とんでもない環境で頑張っている兄と母」と「私自身の真面目過ぎ」
この二つが、私が同級生の行動を疑問に思う感性の根元なのだろう。
ナルシストなの?
私の本性はとてつもないナルシストなのかもしれない。いやそうだ。
というか人間本当はみんなナルシストなんじゃないか?
じゃなきゃ一般人がインスタグラムで毎日自撮りなんか投稿しないだろう。
事あるごとにツイートなんてしないだろう。
そして上記のようなことを「こんな事が言える俺、頭良くて超イケてる。」と思いながら書いている。
でもこういうことは言わなければ誰にもバレないのだ。
まあ文章の書き方とか喋り方でバレバレの人もいるけど。
まあそういう人は周りから人が減った頃に気づくんじゃないかな。
私も今一度気を引き締めなくては。
国民性なのか日本人の「ナルシスト」の基準はかなり低いと感じる。
(この基準が低いというのは、簡単にナルシスト認定するという意だ。)
私自身も実を言うと、SNSで毎日のように自分の顔を投稿している人に対して、ナルシスト認定を無意識にしている。
連続テレビ小説「まんぷく」でもそれを示唆するシーンがあった。
孫の女の子が外国人の男性と別れ際にハグをしているのを目撃。それが家族親戚の間でホットな話題になる。
私も高校一年生のカナダへ一週間の短期語学研修でホームステイした時、初対面のおばさんに当然のようにハグされた。最初はびっくりして謎の抵抗があった。
この抵抗こそが日本人特有の恥ずかしがり屋。
日本人の「おしとやかさ」とガツガツ行かない感じが、自己顕示欲全開の人を見ると「ナルシスト」と簡単に感じてしまうのだろう。
でも最近はインスタグラムがちょっとずつその感覚を薄れさせてくれているんじゃないかなと。
みんな自分の楽しそうな瞬間の顔を投稿している。私はこれがとてもいいことだと考えている。
私は自分の顔をネットに投稿することに中学生の頃から抵抗がなかった。でもネットの危険について詳しくなかったわけじゃない。逆に結構詳しいくらいだった。
その上で鼻血が出ると自撮りしてツイッターに、それを投稿している。
フェイスブックで外国人のアカウントを見てみろ。ほぼ全員かっこいい自分のキメ顔がアイコンじゃないか!
友達とプリクラや加工アプリを使った自撮りをアイコンにするんじゃなくて「無加工のキマっている自分」をみんなアイコンに採用している日本は来るのだろうか。
まあそれは来なくてもいいか。勝手な外国人への私の個人的な憧れだろう。
ナルシストになれ
ようやくここからが今回の本題。伝えたいことの核。
お待たせ致しました。
私の結論
「ナルシストになれ」
大学一年生のくせに命令形で言わせて頂こう。本当に伝えたいから。
今回の記事をここまで読んでくださった方は、私がこれから書くことが大体予想ついているかもしれない。
たぶんその予想通りのことを言うだろう。
「言ってなかったこと。言えなかったこと。」で少し触れたとおり
「私は他の人より賢い。」
自分をそう思い続けて中学生の時から今日まで私は生きてきている。
まず、これがどんな心理状況なのか説明しよう。
私は周囲の人達より圧倒的に高い状況判断能力を持っている。そして学力は十分。人と話すのも怖くない。
以上のことから私は賢いと言える。私の場合はこうだ。
自分を賢いと思える要因が何個かあれば、仮に勘違いでもいいし、
「自分よりあの人のほうが優れている」と思っても「自分には人を尊重する能力がある」とポジティブな変換をしよう。
「自分には他人に勝る能力がない」と自己分析している人は残念な未来しか待っていないと思う。
自己啓発本を読んでみたり、一人旅をすると意外とあっさり見つかったりする。
「人を見下して自分に満足する」のは生産性の欠片もない。時間の無駄だ。
「私は賢い。」と思い込むことで、他の人が挑戦を恐れていたり、面倒くさがっていたり、途中で諦めたりしていることを達成してしまおう。ということが伝えたいのだ。
これを読んで
「そんなの君がポジティブな考え方が出来るから、そんなことが簡単に言えるんだ。」
そう思った人は絶対にいるだろう。
挑戦を恐れていたり、面倒くさがっていたり、途中で諦める人がそういう人達なんじゃないかな。
だが私はそういう人達を否定はしたくない。
苦労するほどの価値がないと判断したのかもしれないし、
私自身、毎回達成!って訳では全くない。何度も諦め投げ出している。
逃げることは豊かな人生を送る上でとても重要なことだから。
ただし、他の人に達成できなかったことを自分が達成できたらどんなに嬉しいことか。
私はその喜びの大きさを知ってしまったから、わからないことでも何度でも挑戦することができる活力になっている。
一度軌道に乗れば「自分は賢いから他の人にはできなかったことが達成できてしまう。習得できてしまう。」という心理が無限にループする。
基本的にチャレンジすることは時間の無駄になることはないと考える。
途中で諦めたとしても、またいつかやる気になったらちょっと近道になるんじゃないか?
達成できなくても、知識が増えているんじゃないか?
検索エンジンの使い方がうまくなっているんじゃないか?
自己解決能力が上がっているんじゃないか?
中学生の頃から私はGoogleには大変お世話になっている。
Googleの検索エンジンとYoutubeがあれば自分の求めている「How to」が大体見つかるのだ。
そしてそういう解説動画やブログを投稿しているのは専門の人では無い一般人のことも多い。
「彼らに出来て自分に出来ない訳がない。なぜなら自分は賢いから。」
自分の目的のためにネットで情報を複数集めて、自分の状況と比較して情報を吟味し、最適な情報を基に行動に移す。
これが出来る人と出来ない人で関わり方もだいぶ変わってくると思う。
間違いなくこれを出来る人の方が今後の世界で豊かな人生を送ることができるだろう。
「自己解決能力」
私は自己解決能力が高いと自己分析している。
「自分を賢いと思い込む」ことで難題に挑戦していけるのも自己解決能力だ。
上で書いたネットで最適な情報を探すことができるのも、
海外の空港で知らない外国人に「トイレはどこですか?」と聞くのも、
外食して店の皿を落として割ってしまった時も、
喉が渇いて川の水を飲むしかない状況も、
全部、自己解決能力が試されているのだ。
自己解決能力は、大量の試行回数と失敗経験が成長へ導く鍵だと私は考える。
ググれ(おまけ)
「ググれ」を日本語訳すると
「そんなことくらい自分で検索しろ。俺の時間を奪うな。」
これが私の解釈だ。
Googleが世界最強で最速の辞書の時代に何故他人の時間を奪う必要があるのか?
返信を待っている暇があるのか?
今ではこれは「自己解決能力が低い」と思われる要因になりうる。
自己解決能力には幅があるが、高いに越したことはないのだ。
少しでも多くの自分で解決する技を身に着けておくべきだ。
その一つとして「ググる」という行為があるのだ。
わからなかったら調べればいいのだ。
チャットの中で知らない漢字や言葉がでてきたら、調べてから返信をして知ったかぶりをしてしまおう。
相手は自分の検索履歴を見ることはないだろう。
「それなんて読むの?」などという返信は「自分は知識がありません。」と自分から言ってしまっているようなもの。
少しでも頭が良いと思われたいのなら、自分から評価を下げるような行為は避けよう。
「〇〇ってどうやるの?」というLINEが急に来た。
「自分で調べろ」と私が言った。
「調べたけどよく分からなかった。」と即効返信が来た。
こんなLINEが私にたびたび来る。しかも大して仲が良くもない人から来るのだ。
そんな今後の人生で私に影響を与える可能性の低い人達に、急に聞かれて自分の時間を割いてまで説明することに合理性があるのだろうか?
もちろん私は仲良しや人脈的に失いたくない人には絶対に答えるだろう。これは差別などではない。自分が今後得られるものを考慮した結果だ。
「ググって分からないことがあったら、ググってみればいい。」
今までこの繰り返しでたくさんの問題を私は解決してきた。
Google検索エンジンとたくさんのブログ投稿者、Youtubeに解説動画を上げてくれている方々のおかげで、自分が周りの人に称賛されて評価が上がる。
そしてそれは自信と次の行動力に繋がる。
しかも全部無料で使えるらしい。
こんなお得なことってあるのだろうか。
まとめ
「自分は頭がいい。」「他の人より優れている。」
これを口に出すと、友達は減るだろう。
でも頭の中で言うのは自由だ。周囲からの自分への評価も下がらない。
「他の人より賢い私はみんなが実現できなかったことができるんだ。」
「みんなが諦めたことを達成できてしまうんだ。」
「思い込みは最強の活力」
何度かこれに似たような言葉を今までの人生で目にして来た。
他人に出来なかった偉業を達成するには妄想力が非常に大切なのだろう。
友達3人ができなかったことをあなた1人だけ達成したとする。
そしたらその友達3人はあなたに、
- 敬意を持って褒める。
- 悔しさを感じる。
ほとんどこの二択になるだろう。いずれにせよ、あなたは他の3人より優れているという実績を手に入れることができたのだ。
ただここで絶対に調子に乗ってはいけないのだ。褒めてくれる人や悔しがってくれる人があなたから離れていったら、この喜びはもう得られなくなるのだ。そして自分を認めてくれている人が居なくなる。
結果的に自信が無くなるのだ。
これは本当に私も気を付けなくてはいけないところだ。
私は意識をしないと謙虚さを保てない。
前回のブログの反響が本当に良くて私は嬉しい。
しかし、ここで私が調子に乗った行動、発言ひとつすることでたくさんの信頼を失い、悲しみだけが残ることになる。自分を認めてくれた人を失う。
なんと恐ろしいことだ。
自分の話をするのはリスクが高く難しいものだ。
そして分からないことがあったらまずは、ググれ!
最後まで読んで頂きありがとうございました。
次の記事は自己啓発本みたな「ポジティブシンキングの強制」要素はなくなるかと思われます。
大学一年生のくせにこんなに語ってしまい、ちょっと申し訳ない気持ちもありますが、これが言いたいように言えるのもブログのメリットなのでしょう。
では。