六面揃えたら天才

伝えたいことが生まれたら書くんじゃないかな

言ってなかったこと。言えなかったこと。

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【はじめに】

私は現在大学一年生(来月から二年生)。
通っている大学のレベルは世間では「Fランク大学」と呼ばれるようなもの。
 
でも生きていて楽しいし、自分の将来への不安もない。
とても明るい希望を持って毎日を生きている。
ポジティブな想像ができている。妄想ができている。
紛れもない、幸せな思考の持ち主だ。
 
上記四行は、バカ特有の根拠の無い自信などではない。
自分の経験がそういう思考にたどり着かせてくれたのだ。
 
高校と大学でたくさんの人に
 
「なんで君はこんなところにいるんだ?」
「もっと上に居るはずだろ?」
 
と何度も聞かれた。 しかし私は毎回、
 
「中学の時に色々あった」
 
で済ませてきた。
こう言うと 「あんまり触れない方が良さそうだな」 と思ってくれる人がほとんど。
たまに「何があった?」って聞いてくれる人ももちろん居てくれた。
気持ちは嬉しいんだけど、説明するためには時間が掛かるし、
何より「本当の私は頭が良くて優等生で…」みたいな自分語りをするのは抵抗がある。
 
でも自分語り無しには上手く伝えられない。
だから、詳しい事情は誰にも伝えていない。
嫌な奴だと思われたくなかったからだ 。
 
そして大学一年でいろんなモノに影響を受けて、知識と視野を広げた結果、
 
「ブログなら自分が言いたいことを邪魔されずに茶化されずに最後まで言える。」
 
とようやく発信できる場所を見つけた。
 
読みたい人だけに読まれればいい。
興味を持ってくれた人だけに響けばいい。
 
そんな気持ちで書いてみた。
 
このブログ記事は私の過去を知りたい人宛てのものだ。
 
今回の記事は 「内容の濃すぎる自己紹介」 というような感じだろう。
 
すべて私の本音を包み隠さず書いた。
頭良いアピールに見えてしまって不愉快に感じたら読むのをやめることをお勧めする。
 
 
 

【私だけが知っている私】

 中学時代

 中学生の頃の私は学力がそこそこあり、リーダーとしての素質も持ち合わせていて
学級委員とか○○長の称号はたくさん持っていた。
簡単に言えば「優等生」だったのかもしれない。
でも通知表の成績はオール4程度。 トップクラスに成績がよかった訳じゃないが、学力の低い部類の人間ではなかったと理解してほしい。
 
ここまでは中学三年の一学期の話である。
すべてが楽しく順調な毎日だった。なんの不満もない。  
 
そして私の人生を大きく変えるきっかけとなったのが中学三年の二学期。
 
私は中学校の学級委員長というものを勘違いしていて、完璧を求めてしまった。
 
「学年全員が自分の指示で静かになる」
「先生に二回同じ内容の注意をさせない」とか。
 
結論から言うと、私は真面目過ぎたのだ。  
 
当時の私は毎日のように
 
「なぜ私の指示はみんなに響かないのか」
「なぜ彼らは前に人が出ているのに平気で友達と喋っていられるのだろうか?」
「なぜ自分は黙らないといけないという状況を理解できるのに、彼らは何度同じことを言われても理解できないのか?」
「どうして自分はこんなにも無力なのか?」
 
と考えていた。   当時の私は中学生とは思えないような責任感の強さを持っていた。  
しかしその結果、二学期が始まってちょっとした頃に私は、  
 
精神が崩壊してしまった
 
私の真面目過ぎる性格と強すぎる責任感が自分の精神状態を破壊したのだ。
 
「中学生が何を言っているんだ(笑)」
と思われるかもしれないが、これは本当の私の身に起きたことなのだ。   
 
私の「真面目すぎ」は中学生にしては異常なものだった。
「ねえ男子静かにしてくれない?」というようなシチュエーションがあるとする。
私はそこで
「本気で迷惑だからやめてくんない?」
と真顔で大きめの声で学年全員の前で平気で言ってしまうようなレベルだ。
 
私は人に迷惑が掛かることが当時から大嫌いだったし、人が人に迷惑を掛けているのを見ることも大嫌いだった。
 
私の中でそれは正しいことと判断して、そういうことを言える勇気が沸いたのだろう。
この行為は先生をも驚かせてしまうことがあった。
それに快感を得ていたことも事実だろう。
私の精神年齢は、先に進みすぎていたのだ。
でも同学年に自分を理解してくれる人が居て、それがかっこいいといってくれる人まで居た。 ただアンチの数も相応に居ただろう。
 
私はその頃から「私は他の人より賢い」とずっと思っている。
こんなこと言ってる奴に友達が増える訳が無いとも同時に理解していた。
だからこのブログに書くまでずっと誰にも言ってない。
言う必要もないし、自分の価値を下げてしまうから。
 
ではなぜここで今、そんなことを公にしたのか。
それは「自分は賢い」と思い込むと、とてつもない活力と勇気を産み出すことが可能であると伝えたいからだ。
だが「自分を賢い」と思い込むこと。については別の機会に書きたいと思う。
 
話を本線に戻そう。
 
精神が崩壊してバーンアウトして何が私に起こったのか。
実際に当時の私に現れた拒否反応を紹介する。
もし今から説明するようなことと同じような行動をしている人があなたの近くにいたら、言うまでもなくその人は他人には想像のできないような苦しみを内側に持っているに違いない。絶対にスルーはしないでほしい。 最悪の場合自殺することも考えられるようなものだ。
 
  • 急に頭の中全体がネガティブな要素に包まれ、涙が来て出て過呼吸になる。
  • 集団行動をしていると、気分が悪くなって逃げだす。
  • 周りの声が耳に入ってくるが、内容が理解できなくなる。(ノイズのような感覚)
  • 「生きている意味が分からない」と口に出す。
 
  これらは忘れたくても忘れられない。  
高校生の頃は何度かこれらがフラッシュバックして泣き出して友達を動揺させてしまうこともあった。  
 
まあこんな精神状態の人間が学校に通い続けることができるはずもないので、
担任の先生に私から、
 
  「学校に毎日来る意味が分からない」  
 
と言ったら、  
 
「学校は将来幸せになるために勉強をする場所だと僕は考えている。幸せになるための勉強をする場所がそんなに君を傷つけているのなら来る意味はない。義務教育と自分だったらもちろん自分のほうが大事だ。」  
 
と返してくれた。
 
そして私は二週間ほど、今まで休んだことのなかった中学校を休んだ。  
 
しかしその二週間の間も私と異常な精神状態の闘いは続いた。
毎日のように涙が止まらなくなって過呼吸になる。
 
「母親のサポートがなかったら自殺していたかもしれない。」
心が落ち着いた後、本気でそう思った。  
 
「この母親じゃなかったら今頃俺は生きてなかったんだろうな」と今でも急に思い出したりする。
 
なにが言いたいかというと、不登校や悩み事を持つ子供に対しての親のサポートの仕方で、どんな状態からでも気持ちを楽にしあげられる可能性があるということだ。
 
当時の私の怒りの矛先はすべて同級生に向けられたモノで、友達から何を言われても聞く気にはならなかった。
 
  私の母が実際にしてくれたのは、
  • 本音を引き出そうとする。
  • 絶対に私の口から出る言葉を否定しない。
  • 学校に行くことを強制しない。  
これらに関してはひとつずつ、説明をしていきたい。
 
  まず「本音を引き出そうとする。」
これはまあ誰しも聞いたことがあるだろうが、「病んでいる人には話を聞いてあげよう」というものだ。結局これが一番大事なのかもしれない。実体験でそう感じた。ただし、本音を引き出そうとしてストレスを与えることは逆効果になりうる。
 
  次に「絶対に私の口からでる言葉を否定しない。」
引き出した本音を絶対に否定しない。しかし必ずしも肯定はしない。
何故かというと、精神異常を起こしている人間の発言は間違ったものが多い。
それを肯定してしまうと一時的に失われている社交性がさらに失われる可能性があるからだ。どんどん社会を否定していき、自分で自分の居場所を失くしてしまう。
だから真剣な顔で「そっか」「うんうん」「そう思ってたのか」とでも言っておけば大丈夫だったんだと自分でも思う。
大事なのは「真剣に言葉を受け止めている」と示すこと。 それだけが確認できるだけで心が楽になった。  
 
最後に「学校に行くことを強制しない。」
これも説明しなくてもなんとなくわかるかもしれないが、強制されると嫌になるのが人間の特性である。受動的な行動は長続きしないし、またすぐパンクするかもしれない。
できるだけ自発的に行動できるようにサポートすることが望ましいのだろう。
しかし実際にはそのままだらけてしまう可能性もあるので、その判断はかなり難しいところでもあると思う。    
 
以上の3つのポイントをおさえてくれていた母親のお陰で、私は今もまだ生きている。
 
もしかしたら、私のために勉強をしてくれたのかもしれない。
 
  さて、また本線に戻ろう。  
 
その精神不安定な二週間を乗り越えて、学校生活にはなんとか復帰した。
 
しかし授業がまともに受けられなくなっていたのだ。
 
全く頭が働かない。集中力が保てない。
オーバーヒートした状態の脳が全く回復していないのである。
 
それが三年の十月頃の話。
それ以降も全く勉強する気力は起こらなかった。
 
  受験勉強なんてできるはずもなかった。
 
  私にも目指している高校はあった。
私立で頭が良くて校舎もかっこいいビルで大都会の真ん中にある。
私と母親でその学校に通っている私の姿を想像して一緒に楽しんでいる時間だってあった。
頭の良い「エリート集団」に入って、自分を磨き、大学も名前の知れた大学に入るんだと意気込んでいた。
自分の未来をとても楽しみに思っていた。
 
  そんな中学生の時に思い描いていた「理想」が自分自身の性格である「真面目過ぎ」で全て崩れてしまった。  
この時の私の感情を言い表せる言葉は思いつかない。
 
理不尽なものだ。
 
学年全体のために正そうとしていたら自分がぶっ壊れて希望の進路への道がなくなった。
 
選んだ高校によって目指せる大学のレベルも大体決まる。
 
就職は良い大学の方が有利。みんな言ってる。
 
 
 
これを読んでくれている方にも一度想像してみてほしい。
 
中学生時代、なんらかの理由であなたは精神が崩壊してしまった。
その時期が偶然にも高校受験シーズンの真っただ中。
受験勉強なんてもうできない。
 
そんなことを経験したあなたは今どんな人生になっていますか?
簡単には見えてこないだろう。
 
私自身ももちろん予想外だ。予定外だ。でも自分がそうさせてしまったのだ。
 
この現実に母親が一番ショックを受けたに違いない。
でも母親がそれを私に対して、言葉にしたことも示唆したことも顔に出したことも一度もない。  
 
そのまま進路最終決定の時期まで「勉強はしたくない」と言っていた。
でも高卒資格は必須という母親や世間の意見。  
その結果が、「通信制サポート校」という私自身も知人も家族も予想しなかった進路選択の決定に導いた。当時の私はこの選択に相当な屈辱感もあった。
 
「なんで頭が良くて優秀な自分が通信制に行かなきゃいけないんだ。」
 
でもこれは自分の決断。そう責任を持って三年過ごすと意思を固めた。
 
中学生最後の三者面談で担任の先生に、
 
「普通の高校生とは比べ物にならないくらい自由な時間を君は手に入れることができる。今はなにもやりたいことがなくても、とにかくお金を貯めなさい。何かをやりたい。どこかへ行きたいと思ってもお金がなかったらなにも始められない。結局お金だから。」
 
と言われた。
 
  今思うと中学生に言うような内容じゃなかった気もする。
でも結果的にこの言葉が現在の私を作り上げたといっても嘘には成らないだろう。
 
自分の時間をお金に変換してお金を自分の経験値に変換する。 
お金がないと他人とは違う経験が出来ないのだ。
 
  中学を卒業してすぐ、母親が 「一人旅してみたら?」 と言い、今まで毎年回収され続けていたお年玉を私に全て渡してくれた。
 
  そして私はその翌々週には、北海道に3泊5日の北海道一人旅をしていた。
 
当時15歳の私にとって北海道に行くことは海外旅行と同じ気分だった。
というか、中学卒業したばかりの人間をよくぞ一人で北海道まで行かせてくれた我が母よ。
 
知らない世界を一人で歩く恐怖感とワクワク感の楽しさをこの時に知ってしまった。
 
以降、私は一人旅が好きになった。行く度に自分の強さを知ることができるし、鍛えられるから。
 
そして何より誰にも縛られない。
誰にも迷惑が掛からない。
食べたいものだけ食べる。
起きたい時間に起きる。
歴史的建造物とか博物館とか景色とか。
有名でも興味ないものはスマホでとって終わり。
本当に自分が見たいものだけに没頭することが許される。
誰にも邪魔されない。
こんな幸せな時間は他にないだろう。
 
15歳のたった五日間の北海道一人旅でそんなことを学んだ。
 

高校時代

 
そして私は高校生になった。
 
担任の先生が言った通り、大量の時間を手に入れた。
学校は月曜日から金曜日の午前中だけで朝も9時半から。
とても楽な毎日だ。 周りはみんな頭が良くはなさそう。勉強も楽。
先生達のキャラが濃くて何故かみんないつも楽しそう。
そんな不思議な環境での生活が始まった。
 
 早速、お金を手に入れるためにアルバイト先を探した。
そして面接五件目でようやく合いそうな店長と面接ができた。
 
これは私の持論だが、アルバイト選びは、店長が自分のことを採用するのではなく、自分自身がいろんな店の店長からアルバイト先を選ぶことがベストだと思っている。
面接の約10分。店長の話し方。身だしなみ。自分に対する丁寧さ。大体見えてくるだろう。 それで「この人には従いたくない」と思うようなら私は断る。
 
社会的に非常識?
自分のストレスフリーを優先するべきだと私は考える。
毎日のようにバイト先の愚痴を言うような人間に私は絶対になりたくないのだ。
 
「いや、自分からそこに面接しに行って契約したんだろうが」
友人にバイト先の愚痴を聞かされていつもそんなことを思う。 
 
私の持論は功を結び、自分の勉強にもなって楽しいと感じられる非常に充実したバイトライフが始まったのだ。  
 
誕生日とクリスマスにしか自分の欲しいものが手に入らなかった少年が、
ついに自分で自由に使えるお金を手に入れたのだ。
 
そして私はずっと欲しかった憧れのゲーム機「PS4」を迷いなく購入した。
 

ゲームの力

友達の家で触ったことのあったPS4
でもあれは親のお金から生まれている。
でもこのPS4は私が働いて稼いだお金で買ったPS4
 
  私が中学生の時に「理想」としていた志望校はアルバイトが禁止だった。
 
私は真面目過ぎるのでそういうのを破ってまでアルバイトはしないタイプだろう。
つまりこのPS4は言ってしまえば「理想」通りに進んでいたら得られることのなかった代物と言える。  
 
そしてPS4の魅力といえば、オンラインゲーム。
私はオンラインゲームにどっぷりハマった。
それまではニコニコ動画でゲーム実況を見てひとりで布団の中でニヤニヤしていた。   しかし、喋り相手が居て一緒の目的に向かって協力する。
これが日本中にいるオンラインゲーマー達といつでもできてしまう。
私は人と喋ることがすごく好きなんだとPS4に教えてもらった。  
 
そして後にネット上で感性の合う「いつものメンバー」のようなものが出来上がる。
年齢はさまざまだけど学校の友達とさほど感覚は変わらない。
でも、圧倒的に違うことはみんな本来私が出会うことのなかったはずの人達なのだ。
 
通信制で暇だからバイトしてPS4買ってゲームやってたら友達いっぱい増えた」
 
こんな感覚。 なんなら「いつものメンバー」と話をしている時間のほうが学校の友達と話をしている時間より長くなっていた。(当時のゲーム友達とは今でも仲が良い)
 
私にも最初は「ネットで知り合った人に会うな!」みたいな教育は受けてきていて、ネット上の知らない人と関わるのは多少の抵抗があったのは間違いない。
 
  ただそれ以上に会話が楽しいのだ。  
 
ゲームっていうツールを使ってお喋りが何時間でもできる。
時には学校の話をしたり、惚気話を聞かされたり、ゲームの攻略の話をしたり、下らないことで笑いあったり。
毎日「修学旅行の夜」みたいな楽しさが味わえたのだ。  
 
その時私は、心の寄り処を手に入れたと確信した。  
たとえ現実世界で自分に嫌なことがあっても彼らは私と楽しく会話をしてくれる。
この安心感。俗にいうセーフティネット
このセーフティネットが自分の中に生まれるだけで現実世界での自分の気持ちの持ちようもだいぶ楽になった。
 
  そしてゲームによる私の人脈拡大は現在も続いている。
「友達が増えるたびに信頼関係が重くて辛い」なんてことは思ったことがない。
むしろどんどん自分の行動への自信と安心へつながる。
 
人間は人に認めてもらいたくてしょうがない生き物なのだ。
自分を認めてくれる人が居ることがどれだけ心強いか。
ゲームのおかげで身をもって知ることができた。
 
 
私が中学三年の一学期に持っていた「理想」が崩れてなかったら、こんなことは高校一年生で知る由もなかった。
ゲームもしてなかった。
日本全国に友達なんていなかった。
きっと地元の唯一無二の親友と二人でずっとゲームをしていたのだろう。(現在も定期的に遊ぶ仲。この親友についても、いつか書きたい。)
 
これは偶然なのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。  
 
私は偶然にも真面目過ぎた。
そして偶然にも病んでしまった。
その時期が偶然にも受験の時期だった。
そして偶然PS4が欲しくて買ってみたら友達が増えて、
話の合う仲間が集まってきて、 ・ ・ ・  
 
私が自分自身の描いていた「理想」とかけ離れた選択を強いられたのは
 
「偶然と偶然と偶然のせい」
 
と自分に言い聞かせていた。  しかし結果として、私はこの偶然の先でたくさんの信頼できる友達や関係、居場所、やりたいこと、楽しめることを見つけられたのだ。
学校のレベルが低いと学校で喋る友達の質も低下するのは非常に言い方が悪いが事実である。得られるものが少ないのだ。
だが、ゲームを通じて自分よりも賢いと思えるような人と会話がいとも簡単にできてしまう。 
 
私が求めている環境そのものだったのかもしれない。
実際にこの環境が自分を磨いてくれた。
これから先も失いたくない人脈だ。
 
 
オンラインゲームとの出会いと感動のお話はこの辺でいいだろう。
 
 
さて、お金と時間を手に入れた私だが、学力はどんどん落ちていくのだ。
当然のことである。普通の高校生が勉強をしている時間に、アルバイトとゲームをして友達と遊んでばかりなのだから。
欲しいものはだいたい手に入れていた。そんな高校生活。
地元の友達とは距離がどんどん離れていった。
当時は地元の友達ほぼ全員に対して、
 
「お前らに俺は人生狂わされた。メンタルもぶっ壊された」
 
と少なからず思っていた。でも今は冷静に考えることができる。  
 
「160人いる学年でただ1人私だけが勝手に病んで受験できなくなった。」
 
これをほかの159人のせいにするのは当然無理がある。
人のせいにするのは諦めざるを得なかった。
時間が有り余っていたから脳が暇してこんなことを繰り返し考えていた。   
 
私がこの高校からランクの高い大学を目指すのは無理だと考えた。
勉強をしたくないからだ。授業のペースも内容も高校卒業資格に必要最低限なもの。
ただならぬ努力をしない限り、いい大学なんで入れないと分かりきっていた。
 
そんなに身を削るような努力をしてランクの高い大学に入る必要があるのだろうか?
「大学は人生の夏休み」とか言ってるような奴等が居る時点で悪環境なのでは?  
いろんな疑問を問いかけて
 
「どんな大学に行こうと結局本人次第だろ」
 
という結論に至った。これは今でも間違っていないと思う。  
 
正直言うと高校の時の授業を受ける環境は最悪だった。 私は真面目なので頭の悪そうな人たちがうるさくしているのが嫌いだ。 でもそういう人たちを気にしすぎたせいで私は頭がおかしくなってしまった。 だから気にしないように高校三年間訓練した。
 
ただ、あいつらさえいなければもっと効率よくいろんなこと学べて先生の面白い話が聞けたんじゃないかと思うとやはり不愉快だ。
だが、もうそんな人たちと二度と会う必要がない。ははは。    
 

イタリア一人旅 

大学の合格発表も無事終わって、高校三年生の十月に私は中学の時の担任の先生の助言通りに貯まりに貯まっていたお金でイタリアを二週間一人旅することを決めた。
 
この旅は間違いなく私の人生の大きなターニングポイントだ。  
なぜイタリアに二週間一人旅を決めたかというと、主に三つの理由がある。
 
一つ目は自慢話を作るためである。
 
「高校生の時に一人でイタリア行ってきたんですよ」
 
一生使える自慢話だ。
まず普通の高校に通っていた人には、よっぽどの奇想天外な行動力と判断力の持ち主でない限り実現不可能なことなのである。
それをなんの悪気もなく遂行できる通信制サポート校。
そして「イタリア」というところ。
カナダやアメリカ、イギリス、オーストラリアは英語の留学先としてメジャーなのでインパクトに欠ける。
 
イタリア
 
なんとなくセンスの良さを感じてもらえる気がする。
 
二つ目は、私はパスタが大好きだから。
これは特に説明することもない。パスタが大好きなのだ。
イタリアに行けば昼夜はパスタが約束されているようなもの。天国だね。
 
三つめは、トムハンクス主演の映画「インフェルノ」「天使と悪魔」の舞台がイタリアであったこと。
私が実際に滞在したのはフィレンツェ。だから毎日インフェルノの世界観に浸りながら、街を歩くことができる。最高だね。
ローマにも日帰りで行ったが、フィレンツェのほうが私は好きだ。  
 
以上三つの理由が私をイタリアに飛ばした。  
 
すべての費用を自分がアルバイトで稼いだお金で支払っている。そこにまた大きな意味があるんだと思う。  
人に行かされた訳じゃない。家がお金持ちだから行けた訳じゃない。
 
この旅に行ったおかげで
「自分は普通の高校生が絶対にできないようなすごいことをした」っていう実感を手に入れた。
「自分は只者じゃないんだ。」って思える心地よさ。
通信制に通う学生には、こういう経験をするチャンスがいくらでもあるからぜひとも、お金を貯めで普通の高校生には絶対にできないような経験をしてほしい。  
 
しかし、視野を広くすればこんなことをしている若者がいくらでもいる。
でも実際あなたの身近には、このようなことをしている人が1人いるかいないかくらいではないだろうか。  
だから私はいろんな人に「勇気がある」「行動力がある」と思ってもらえるのだ。
 
ルービックキューブがいい例だ。1面も揃えられない人からしたら6面揃えられる人は天才に見える。でも6面揃えられる人は世界にいくらでも居る。
 
世の中にはいくつも、そういうものがあるのだ。  
ただ手を挙げただけで「積極性がある」「意欲がある」
集団行動で最初に歩き出しただけで「リーダーの素質がある」「決断力がある」
 

大学時代(今) 

そんなことを考えながら大学へ進学。  
 
この一年で恥ずかしさを捨てると信頼や人脈を勝ち取ることができるという経験を数多くした。
 
「そこまでしてそんなもの要らない」
 
そう思うならそれ相応の人生になってしまうと思う。  
また他人に対して「あいつはすごい。俺とは違う」と言い出した時点で終わりだ。
そこで完全に敗北だ。  
 
未だに日本には学歴フィルターなんてものが存在するのだろうか?
日本の大企業に就職することを目指す必要があるのだろうか?
自分に本気で努力をしてまでやりたい仕事なんてあるのだろうか?
 
最近、私は学歴なんてどうでもいい自由な生き方を勉強している。
これを「お前はFランク大学という現実から逃げようとしているだけ」と感じる人はいるかもしれない。
実際その通りかもしれない。
ただ考えてみてほしい。世の中にはそんなものに囚われずに、自分の好きなように生きている人が存在している。ましてや今日ではブームのようにどんどん増えてきている。
 
彼らには出来て、私には出来ない理由などあるのだろうか?
 
「憧れ」に向かって行動を起こすのか。うらやましがるだけなのか。
 
たとえ他人に理解してもらえなかったとしても、
人生は本人が楽しいと思うことができてしまえば「勝ち」なのだ。
 
人生を楽しんでいる人が大体こんなことを言ってる。
私も激しく同意だ。
 
やめたくなったらやめればいい。
物事を楽しめない人間は損をしているだけ。
そういう人を見て私は得をしている気分になる。
他人の理想や常識なんてどうでもいい。
自分が幸せを手に入れてから、友達を自分の幸せに巻き込めばいい。
 
いつからこんなに人生が語れるようになってしまったのか。
 
 

【まとめ】

私という人間がどういう手違いで今に至ったのか、これでご理解頂けたら幸いです。

 

私が今持っている人生の結論は「生きていて楽しいなら学歴も辛い過去もどうでもいい」

 

私は中学三年の一学期まで何もかも順調だったが、精神崩壊し、受験できなくなって通信制サポート校に進み、ゲーマーになって、ゲームの友達と遊んで、一人旅をたくさんして、イタリアにも一人で行って、オランダ人の友達ができて、フィンランドに行ってフィンランド人の友達ができて、来月にはドイツ人の友達ができる予定だ。

 

最初は精神崩壊したせいでエリート街道から外れてとてつもないショックを受けていた。

 

それが今では、精神崩壊したおかげで、知らない世界に自分からどんどん飛び込んで行っている。そしてそのことに喜びを感じているし、そこから高い経験値を得ている。

 

人生は本当にいつ何が起こるか分からない。これもみんな言ってること。

でも偶然自分に与えられた道を活かすか殺すかはすべて自分次第だ。

 

 

 

 

 

このブログを最初から最後まで読んでくれた人が居てくれるだけで私は嬉しいです。

文を使う「かんた」と喋る「かんた」には結構なギャップがあるかもしれない。またそれも面白いんじゃないかな。

ありがとうございました。